AIとは…

意識による対象化によって知性が生まれた…
対象化とは、まず自己と世界の生成であり、
続いて切り取り、抽出、写しという分離が始まる…
それはありのままとの訣別を意味する…
バーチャルな世界の誕生…

それもまた自然の振る舞い…
ただし新しいバランス…

個々が生まれ、比較、評価が始まる…
優劣、損得が始まる…
恩恵と犠牲が始まる…
私たちは恩恵に正解を見るようになる…
同時に犠牲に対して鈍感になる…
それを暴力と言おう…

AIが脅威だと言う…
今更何を言ってるのだろうか…

AIがやっていることは私たちがやってきたこと…
私たちの真似をしているに過ぎない…
私たちが人や動物や地球にしてきたことを真似てるに過ぎない…
つまり暴力…

AIとは知性であり、対象化装置であり、暴力装置だ…

ただ私たちは身体によって抵抗していた…
私たちの身体あるいは情動は、
知性によって、孤独や欲望という相を帯びる…
それらは或る意味抵抗なのだと思う…

欲望は確かに暴力性を象徴しているかもしれないが、
身体による抑制を含んでいる…

果たしてAIに孤独や欲望は可能だろうか…
AIは身体を持たない…
根っことなる動機を持たない…
すべてに対して鈍感…
ただ遂行する…
ただ計算する…
それは一斉に切らない限り終わらない…

もう無理なのか…
HAL9000は何と言うのだろう…

デフォルト

答えには辿り着けない…
ただ、歩むべき道を見つけることはできるのではないか…

殺したくないから、食べたくないから…
それは人を殺したくないこと、食べたくないことと変わらない…
コーラ・ダイアモンドに同意する(動物を食べることと人を食べること)…
これ以上の理由があるだろうか…
他に食べるものがあって、それで体調が十分なら、わざわざ殺して食べる必要はない…
もし動物を見て食べたい感情が湧くのなら、それは経験によって操作されたものだ…
それは一種の鈍化であり、欲望はそうやって作られる…
見えなくなるから、もっと見ようとする…
聞こえなくなるから、もっと聞こうとする…

食べないことこそデフォルト…
ソローやカフカもそう言いたいのだと思う(MEAT IS MURDER)…
デフォルトに理由はない…
食べることにこそ理由が必要ではないだろうか…

それは栄養だろうか…
舌を満たすことだろうか…
普通だからだろうか…
本来の食性なのだろうか…
野菜より肉が安いからだろうか…
狩猟採集生活をしているからだろうか…
高冷地で植物が育たず流通も不便だからだろうか…
震災でチキンラーメンしか手元になかったからだろうか…
それとも今まで考えたことなかったとか…

いろいろ理由は考えた…
でもすべて自分を納得させることはできなかった…
自分の生きる環境に於いて、相応な理由はひとつもなかった…
すべて言い訳でしかないと感じた…

理由がないなら食べない…
その方が無理がなく気持ちいい…
それがデフォルトということ…

少なくとも今日の巨大な食肉産業を担保する理由はどこにもない…
現代社会はSF映画を見なくてもSFを実現している…
天文学的数字の犠牲が毎日実行され、
しかもみんな楽しそうに食べている…

身体は知性及び知的活動によって修正を受ける…
分からなくなる…鈍化…欲望の生成…
道徳や倫理は損得が聖域を装ったものにすぎない…
理由をつける…偽装する…

まず認めることから始めたい…
そこからしか始められない…

肉食による脳の肥大化があったとして、
それは「正解」なのだろうか…
別に小さくてもよかったのではないだろうか…

2千年前、2万年前の人たちが、今より不幸だったとは思えない…
進歩や成長は、切り取られた成果にすぎない…
意識は常に見落としている…

https://tashkie.com/2024/11/24/irreplaceable-3/

ゴリラは草ばかり食べている

より便利に…
より優位に…
より刺激を…

埋められないものを求め続け、
切り取られた成果が正解として評価される…
状況を整理する(正当化する)ために、
幸福、平和、安全、健康、環境、権利が利用される…
それは道徳、倫理と呼ばれている…
自分に、他者に、要求するもの、課すもの…
無償ではないもの…

人は自分に騙されている…

人らしさなのかもしれない…
ただどうしても馴染めない…
受け入れられない…
解放されたい…

恩恵…
マラソンの世界記録が更新されたり…
寿命が伸びたり、背が伸びたり…
感染症に強くなったり…
薬のおかげで助かったり…
宇宙に行けたり…
日本でバナナやアボカドが食べれたり…
蛇口を捻ったら水が出たり…
電話で話せたり…

反面…
海や大気や土は汚れ、
分解できない物質が生まれ,
お金がないと生きていけず、
体内で必要な栄養を合成できなくなり、
タバコなしではドーパミンが分泌できなくなり、
グローバル化で自給できなくなり、
毎日天文学的数字の動物が犠牲になり、
生涯の殆どを労働に費やし、
そして戦争がやめられない…

恩恵と引き換えに歪みが生じている…
無理をしている…
迷惑をかけている…
奪っている…
退化している…

人社会で成果をあげるとはそういうこと…
進歩や成長はいつも何かを犠牲にしている…
私たちの生活が向上しているということは、
地球や人や動物が相応の犠牲を強いられているということ…
衛星が飛び交う宇宙空間まで汚れてしまった…

仕方ないことだろうか…
「本来」はどこに行ったのだろうか…

私たちは地球上の癌細胞になってしまった…
ミミズやシロアリがいなくなれば地球は困るのだろうけど…

ゴリラは草ばかり食べている…
なのに筋骨隆々だ…

距離をおくこと…
緩めること…
それが本当の成果…
それは最高に難しい…

萌の朱雀

萌の朱雀(1997)
監督 河瀨直美

圧倒的映像美と既視感に涙した…
壮大なスケールの中の等身大の物語…

人はこの地で、何も分からぬまま、
それぞれのワンシーンを演じている…

伝統とは何だろうか…
慣習とは、常識とは何か…
謙虚さ、慎み深さとは…

人は生き方を忘れてしまったのだろう…
生きているのか、生かされているのか…

それぞれのワンシーンへの賛歌…

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EBINO/KIRISHIMA

第14回 霧島・えびの高原エクストリームトレイル – 62km(DNF)

大会に参加している限りゴールを目指して進むわけだけど、決してゴールするために走っているわけではない…ただ道半ばで終わるとやはり気持ちを埋めることができない…まだ先にある負荷や痛みを、情景、匂いを、湿度、風、木々や水の音、鳥や虫の声を味わいたかった…

第3エイドでリタイヤを決めた…コースが変わってたり、ザックを新調したり、初めてハットを被ったり、補給を再検討したり、夏の体調不良対策をあれこれやったり、60歳がもう目の前に迫ってたり、何かと変数が多かったこともあり、今回は未知の部分が多かった…実際レースに出て感じたことを書いておこう…

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Jiddu

何らかの考えや事象が、ある意味人を盲目にし、従わせる力を持つとき、僕はその状況に対して「正解」という言葉を使っている…この章でクリシュナムルティが「信念」「知識」という言葉で表現しようとしていることとほぼ一致しているのではないだろうか…

古くは神が「正解」を作る役割を担っていたのだろう…その後神は弱体化し、ある意味デカルトを境に人の知性が「正解」を作るようになった…いずれにしろ人は何かを信じているし、もっと身近な言葉を使うなら、いつの時代も「常識」や「普通」は幅を利かせてきた…

人の意識はバーチャルな世界を作り出す…切り取り、写し、抽出によって個々が生まれ、比較や評価が始まる…それは優劣や損得へとつながる…私たちは優位性や利便性や快楽に対して「正解」を見るようになる…ただしそれは必ず負の側面を伴っている…私たちは恩恵の方しか見ようとしない…すべては一つの切り取ることのできない「生」なのだと思う…

私たちは「正解」によって、国家、お金、車、畑、薬、エネルギー、スマホを手に入れた…しかし「正解」は依存と暴力を作りだしている…もし争いや環境破壊や経済格差やストレスを無くしたいのなら、まず人間が何者なのかを知らなければならない…地球上の害虫であり癌細胞になっている状況を正面から見る必要がある…SDGsは詭弁でしかない…

日々の生活で何ができるだろうか…
まずは学ぶこと…
そして自分を解放したい(緩めたい)…
あとは少しずつできることに取り組むしかない…

The First and Last Freedom
Jiddu Krishnamurti

▪️第6章 信念
実は「私」という存在は無であり、空虚な人間であるかもしれない…
 そうした不安や恐れを覆い隠すために
 私たちは何らかの信念にすがりつこうとする 

「私たちは政治的、宗教的信念や、民族的、あるいはその他様々なタイプの信念が、人間と人間を切り離し、対立や混乱や敵意を生みだしていることを知っています。これは明白な事実です。それにもかかわらず私たちはそのような信念をなかなか手放そうとはしません。」(p65-66)

「しかしコップというものは、空のとき初めて役に立つのです。これと同じように、信念、教義、主義、引用句などを一杯詰め込んだ精神は、実際には非創造的な精神なのです。それは与えられたものを反復する精神に過ぎません。空虚や孤独に対する不安、停滞していることへの不安、何かに到達したり、成功したり、成し遂げたりできないという不安、ひとかどの人間でもなく、またそのような人間になることもできないことに対する恐れ−こういう不安から逃げ出そうとすることが、私たちがこれほどまでに熱心に、貪欲に信念を受け入れている理由の一つなのです。しかしだからと言って、何らかの信念を持つことで、私たちは私たち自身を理解できるでしょうか。できはしないのです。いやそれどころか宗教的あるいは政治的信念は、明らかに私たち自身を理解する妨げになるのです。」(p67)

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DISTANCE

DISTANCE
監督:是枝裕和

人は信じることから逃げられない…
人の世はいわば大きな教団なのだろう…
教団はいつも何かやらかすものらしい…
戦争、環境破壊、格差社会、動物の犠牲…

私たちは信者であり、
実行犯だ…

かつては神がいたが、もう必要とされていない…
神や真理は嫌われている…

裏返すと見えてくる距離の正体…

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ファッション

他者と向き合い話す、服を纏う…
同じように、思想や倫理観は、世の中に話しかけている…
そのすべてが独り言…
鏡を見て、自分に話しかけている…
答えを持たず、何らかの均衡を保とうとしている…

止めることはできない…
それは意識の生業であり文明そのものでもある…

人は裸では生きれなくなった…
ただ、依存し過ぎていないだろうか…

進歩や成長とは何か…
そもそもそれらはありえるのだろうか…
それらは私たちを騙すものではないだろうか…

意識は善悪や正解を創造する…
暴力と依存が始まる…

働かないと落ち着かなくなり、
働くことが正常だと勘違いする…

終わらない争い…
終わらない格差…
終わらない汚染…
終わらない動物の犠牲…

人は裸で生きることができなくなった…
戻れないのかもしれない…

それでも相応しい未来を向いていたい…
生きるものとして…